ハイド・アンド・シーク(ネタバレあり)
2005年5月8日 映画見てきました。
感想はネタバレそのものなので、これから見るひとは
絶対に読まないでね。
感想。
なんつー荒れ果てた家庭なのだ。
の、一言です。
こんなんで育ったら、エミリー(ダコタ・ファニングちゃん)も
心に傷が残るというか、少なくともグレるなぁ・・・
帰りに、小説本をナナメ読みしたら、映画ではわからなかった
ことがいっぱい書いてあった。
エミリーの父・ディヴィット(デニーロ)がなぜ、チャーリーになってしまったのか。
ディヴィットは、義理の母に育てられている。
その母親に、ずっと折檻され続け、心に闇を抱えていた過去が
あったのだった。
折檻していた相手と引き離され、面倒を見てくれた心療内科医の
献身的な治療と、彼自身が心理学者の道を選んだことから、周囲の
誰もが、彼は闇を克服したのだと思っていたが、そうではなかった。
そして、なぜ名前が「チャーリー」なのか。
「チャーリー」は、ディヴィットの妻の、浮気相手の男の名前。
・・・という、この辺りをなんで端折るのかなぁ、ハリウッド。
時間の問題なの?
ここがなきゃ、辻褄が合わないというか納得行かない部分が
多くなるではないか。
それともここらへんって、ストーリーの「理屈」になるだけ?
こういうところを描いてこそ、なぜこの人が殺されるのか、とか、
ディヴィットがチャーリーになってしまったときの恐怖感とか、
増してくると思うんだけどなぁ。
私が読んだ「ハイド・アンド・シーク」の脇に置いてあった
「Shall We Dance?アメリカへ行く」もチラっと読んでみた。
そしたら解説にこんなことが。
<大島渚監督が、「戦場のメリークリスマス」の主役として、
最初にロバート・レッドフォードと交渉したとき、脚本を読んだ
レッドフォードが、こう述べて断ったという話だった。
「アメリカでは、最初の15分で話の内容がわかる映画でなくてはヒット
しないからこれでは難しいだろう」。>
この文章が、なぜか今回の映画と重なった。
えっとね、つまり、この「ハイド・アンド・シーク」の編集も、
単純化された結果ってことなのか?って思ったってこと。
アメリカ人てそんなに単純でないとダメなの??
それに、別に彼(レッドフォード)がどうとかではなくて、
制作側がもう、観衆をそんなふうに捕らえながら映画を作ってるの?
描かれるからこそ、見る側の気持ちも映画にシンクロしやすく
なるのじゃなかろーか。
音やら映像の迫力だけで押し切るのがアメリカ流?
ハナからそんなふうに思ってたら、理解できるものも理解できない。
うわべだけで中身がからっぽなものを量産して満足なのか。
うーーーーん。
映画化された作品って、納得行かない部分って、
実は原作読んだりなんかするときちんと描かれてたり
するのね、きっと。
まあハリウッドに限らず、どの国のどんな映画にも
あることかな。
でもねぇ・・・・。
感想はネタバレそのものなので、これから見るひとは
絶対に読まないでね。
感想。
なんつー荒れ果てた家庭なのだ。
の、一言です。
こんなんで育ったら、エミリー(ダコタ・ファニングちゃん)も
心に傷が残るというか、少なくともグレるなぁ・・・
帰りに、小説本をナナメ読みしたら、映画ではわからなかった
ことがいっぱい書いてあった。
エミリーの父・ディヴィット(デニーロ)がなぜ、チャーリーになってしまったのか。
ディヴィットは、義理の母に育てられている。
その母親に、ずっと折檻され続け、心に闇を抱えていた過去が
あったのだった。
折檻していた相手と引き離され、面倒を見てくれた心療内科医の
献身的な治療と、彼自身が心理学者の道を選んだことから、周囲の
誰もが、彼は闇を克服したのだと思っていたが、そうではなかった。
そして、なぜ名前が「チャーリー」なのか。
「チャーリー」は、ディヴィットの妻の、浮気相手の男の名前。
・・・という、この辺りをなんで端折るのかなぁ、ハリウッド。
時間の問題なの?
ここがなきゃ、辻褄が合わないというか納得行かない部分が
多くなるではないか。
それともここらへんって、ストーリーの「理屈」になるだけ?
こういうところを描いてこそ、なぜこの人が殺されるのか、とか、
ディヴィットがチャーリーになってしまったときの恐怖感とか、
増してくると思うんだけどなぁ。
私が読んだ「ハイド・アンド・シーク」の脇に置いてあった
「Shall We Dance?アメリカへ行く」もチラっと読んでみた。
そしたら解説にこんなことが。
<大島渚監督が、「戦場のメリークリスマス」の主役として、
最初にロバート・レッドフォードと交渉したとき、脚本を読んだ
レッドフォードが、こう述べて断ったという話だった。
「アメリカでは、最初の15分で話の内容がわかる映画でなくてはヒット
しないからこれでは難しいだろう」。>
この文章が、なぜか今回の映画と重なった。
えっとね、つまり、この「ハイド・アンド・シーク」の編集も、
単純化された結果ってことなのか?って思ったってこと。
アメリカ人てそんなに単純でないとダメなの??
それに、別に彼(レッドフォード)がどうとかではなくて、
制作側がもう、観衆をそんなふうに捕らえながら映画を作ってるの?
描かれるからこそ、見る側の気持ちも映画にシンクロしやすく
なるのじゃなかろーか。
音やら映像の迫力だけで押し切るのがアメリカ流?
ハナからそんなふうに思ってたら、理解できるものも理解できない。
うわべだけで中身がからっぽなものを量産して満足なのか。
うーーーーん。
映画化された作品って、納得行かない部分って、
実は原作読んだりなんかするときちんと描かれてたり
するのね、きっと。
まあハリウッドに限らず、どの国のどんな映画にも
あることかな。
でもねぇ・・・・。
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