佐世保の事件について、思うこと
2004年6月6日 読書
佐世保の事件を知ったときに、なぜかこの「来なけりゃいいのに」が思い浮かびました。
正確には、表題の作品ではなく、この本の中に収録されている
「最後のしずく」という作品が。
「最後のしずく」は、男性とあまり縁の無い女性が出てきます。
親友だと思っていた女に、実は自分はバカにされていた。
職場(彼女は保育士をしている)で、児童にも容姿について
からかわれ、そして・・・という話。
佐世保の事件とは、結果も筋道も設定も全く違いますが、
それでも重なった。
主人公の女性の思いと、佐世保事件の加害者になった女の子の思いが。
たとえ12歳でも、「女」なのだと思った。
思えば、容姿に対するコンプレックス、気になること、
それは11歳〜12歳当時の私には立派にあったと思う。
今回の事件の彼女にも。
それを取りざたされ、傷つき、怒り、立ち込める黒い感情。
自分で自分の心が冷えていくのが分かる。
感情が乾いていく。
容姿など、生まれ持ったものだ。
変えることなど容易ではない。
そもそも、「変えたい、変わりたい」のレベルではない。
「醜い自分」がいること自体がもうすでに、耐え難いことなのかもしれない。
インターネットの掲示板で起こったことについて、マスコミは
特殊性を持っているように取り上げている。
それはそうかもしれない、これと同じことが、10年前なら
なかった。少なくとも事件の背景に、インターネットが
張り込む余地が当時は無かった。
インターネットがこれほどまでに普及していなかったからだ。
でも私はそこに何ら特殊性を見出すことはない。
加害者の女の子が何に傷つき、何を思ったのか。
私はそこにしか考えがいかなかった。
チャットルーム、掲示板、ホームページ。
これらが無かったら、この事件はおきなかったか?
という問いに対し、私は「NO」と言う。
それがあったかなかったかで、彼女の中にある「女」の
部分は変わらないからだ。
彼女が抱いた殺意は、大して珍しいものではないと思う。
容姿に対してコンプレックスを持ち、それによって
からかわれたことのある人なら、自分を傷つけた人に対して
瞬間的に殺意を抱くこともあると思う。
ただ、それを実行するか、心の中に押し込んで忘れ去るか、
の違いは大きかった。
彼女はこれからどう生きていくのだろうか?
「謝りたい」
残念だけど、それはもう無理だ。
殺された女の子は、もうこの世に居ないのだから。
正確には、表題の作品ではなく、この本の中に収録されている
「最後のしずく」という作品が。
「最後のしずく」は、男性とあまり縁の無い女性が出てきます。
親友だと思っていた女に、実は自分はバカにされていた。
職場(彼女は保育士をしている)で、児童にも容姿について
からかわれ、そして・・・という話。
佐世保の事件とは、結果も筋道も設定も全く違いますが、
それでも重なった。
主人公の女性の思いと、佐世保事件の加害者になった女の子の思いが。
たとえ12歳でも、「女」なのだと思った。
思えば、容姿に対するコンプレックス、気になること、
それは11歳〜12歳当時の私には立派にあったと思う。
今回の事件の彼女にも。
それを取りざたされ、傷つき、怒り、立ち込める黒い感情。
自分で自分の心が冷えていくのが分かる。
感情が乾いていく。
容姿など、生まれ持ったものだ。
変えることなど容易ではない。
そもそも、「変えたい、変わりたい」のレベルではない。
「醜い自分」がいること自体がもうすでに、耐え難いことなのかもしれない。
インターネットの掲示板で起こったことについて、マスコミは
特殊性を持っているように取り上げている。
それはそうかもしれない、これと同じことが、10年前なら
なかった。少なくとも事件の背景に、インターネットが
張り込む余地が当時は無かった。
インターネットがこれほどまでに普及していなかったからだ。
でも私はそこに何ら特殊性を見出すことはない。
加害者の女の子が何に傷つき、何を思ったのか。
私はそこにしか考えがいかなかった。
チャットルーム、掲示板、ホームページ。
これらが無かったら、この事件はおきなかったか?
という問いに対し、私は「NO」と言う。
それがあったかなかったかで、彼女の中にある「女」の
部分は変わらないからだ。
彼女が抱いた殺意は、大して珍しいものではないと思う。
容姿に対してコンプレックスを持ち、それによって
からかわれたことのある人なら、自分を傷つけた人に対して
瞬間的に殺意を抱くこともあると思う。
ただ、それを実行するか、心の中に押し込んで忘れ去るか、
の違いは大きかった。
彼女はこれからどう生きていくのだろうか?
「謝りたい」
残念だけど、それはもう無理だ。
殺された女の子は、もうこの世に居ないのだから。
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